呼吸困難

病気は多いですが、前向きに生きていきます。目下の課題は重症喘息のコントロールです。

喘息の薬が足りない

昨日、夫に半休を取ってもらい、リウマチ科と呼吸器科に受診してきた。
呼吸器科の医師は
「テオフィリンをやめて別の薬に変える。その薬はゆっくり効果が出てくる」
と確かに言った。


処方箋を薬局に持って行き、夫が来れそうな時間を書いた。
調剤薬局は18時までだ。
夫は
「今日は忙しくない日だから」
と言ったので、
「薬局が終わる前に夫が取りにきます」
と紙に書いて帰宅した。


19時過ぎ夫が帰宅。
薬を確認する。
テオフィリンは止まっているが、代替の薬がない。
みかんも帰ってきていたので
「大変だ、今夜はどうしたの?」
と聞くから
「まだテオフィリンが余っているからそれを飲んだ」
と答えた。


昨日、二人の医師に、苦しくなったらすぐ対処しないと死ぬと散々言われて家族にも伝えた。
何も年末に変えなくてもと思わなくもなかったが、了承した。
ところが説明書を見ても、薬を確認しても、新しい薬というのが処方されていない。
病院は8時半に開く。
朝イチで電話する。
夫は今日の夜は忙しいが、日中なら薬を取りに行けるということで、夫に行ってもらう。
車じゃなければいけない場所にある病院な上、路面がツルツル。
昨日車の停車中に撮った写真がこちら。



これが北海道の冬道だ。
車で走るのも危険なら、歩くのも危ない。
みんな当たり前に転ぶ。
スケート靴をはきたいくらいだ。
この路面にうっすら雪が積もったら、表面は雪なので安心して歩くと、下が氷で滑ってしまう。
今の私の足で、これは歩きたくない。


昨日帰宅後、他に読まなきゃいけない本がたくさんあるのに「私はママのお人形」というコミックエッセイを買って読んでしまった。
その内容にあてられた。
カウンセラーさんから「毒親関係の本は苦しくなるから読まないように」と散々言われた。
なのに、毒親関連の本は、見つけ次第買って読んでしまう。
なぜ引き寄せられるか。
自分を試しているのかもしれないし、苦しみたいのかもしれない。
理解し難いと思うが、18歳までの私の生活は、凄惨だった。
だが、懐かしいのだ。
元の生活に戻るのは嫌だが「擬似体験」をしたい欲求に駆られる。
今との違いを比べているのかもしれない。
「私は前より幸せですよ」と。
カウンセラーじゃないから、本当のことはわからないが、他の人の体験を知りたい。


昨日読んだ本は、私の母とは毛色が違った。
だが、自分の思い通りの髪型、服装をしないと怒るところや、口から出る言葉の全てが人の「悪口」という点は似ていた。
その本は私の母よりマシに思えた。
だからか知らないが、母を許して今も付き合っている。
母の言うことをきかないことにして、付き合うことで、区切りをつけたようだ。


私はどうか。
今の母は「非力な老婆」だ。
だが、顔を見たくない。世話もしたくない。
遠く離れた場所の施設には入れていないので、申し訳ないが生活必需品が無くなったら夫に電話するように言ってある。
どうしても昔のことを思い出すし、そもそも私の言うことをきかない。
今の環境がお互いのためだ。
母が自分のことで精一杯なら、私も必死に生きている。


昨日は受診以外、何もしていない。
夕食はワタミにした。
5菜にしたら「前より食べ応えがある」とみかんは言っていた。
夫は最後に余った3菜のプルコギを食べてくれたが、カップラーメン付きだ。
二人とも汁物が欲しいのだ。
ワタミの日でも、汁物は作ろうと思った。


今夜は二人とも食事しない。
洗濯だけしよう。

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