呼吸困難

病気は多いですが、前向きに生きていきます。目下の課題は重症喘息のコントロールです。

心に潤いが欲しい

迷った挙句、ブルーミーのお花を頼むことにした。
飾れる場所が、リビングには1箇所だけある。
もともと夫のタバコを吸うのに空気清浄機を置いていた場所。
夫の細かな物が散乱しているので、片付けておいてと頼んだ。


花を頼むとなると花瓶が欲しい。
デビットカードのポイントが950円くらい付いていたので、1時間くらいAmazonで選び、手頃な中くらいのサイズの花瓶を陶器とガラスと2つ買った。


さて、いよいよお花を頼もうと、会員登録しようとしたら、北海道は凍結の可能性があるので、2月11日以降の配達になるとのこと。
うーん(。-_-。)


でもまあ、しばらくは花屋でお花を買うことにした。


で、お財布事情。
借金は無い。
1月からみかんが家に5万円入れてくれる。
それでお花を飾ることにした。
花瓶は12月25日に届く。
お正月っぽいお花を選んで飾ってみよう。


ワタミの冷凍おかずは五菜10食の選べるセットを7日ごとに頼んだが、慌てて14日ごとに変更した。
週2回、3人で食べたら6食になるから、4食を私の昼ごはんにしようと思った。
だが、私は昼も夜も続けてワタミは少し辛い。
14日で10食だと、週2回と週1回になるが、お財布に優しい。
なんなら夕食を週1回にして、残りを私の昼ごはんにしても良いかなと思った。


今年は色々あった。何度心が折れそうになったかしれない。
でも心が折れたところで、やはり生きていかなければならない。


1〜2月、ケアマネで就職するが、失敗。
フルタイムで雪の中を車で運転することに強いストレスがあった。
退職した時、もう一般就労は無理だと思った。


【修正】


4月、腰痛が酷く整形外科受診。椎間板が3つ消滅。
総合病院にもかかったが、どうすることもできないとのこと。
力仕事は禁止された。
つまり看護師ができなくなった。
まあまあ落ち込んだ。


6月、右肋骨骨折。
ただ腕を伸ばしただけだ。
主治医に歯科受診を勧められた。
骨粗鬆症の薬内服のためには、抜歯する歯がないか、検査して欲しいとのこと。
歯科受診はしなかった。
それを正直に主治医に言ったら、次回ということになった。


7月から就労継続支援A型事業所で働こうと思い、就職活動をする。
3箇所見学して、2箇所落ちて、1箇所断った。


9月、A型事業所で、お試しで1日働くことになった。
その前の週に、ゴミ捨てに行って息切れが3時間続いたが、運動不足だからだと思った。
お試しの仕事で、中学校のトイレ掃除をして、20分ほどで床にしゃがんだ。
意識はあり、トイレの床は汚いので、廊下に出て座り込んだ。
大量に発汗し、息切れが止まらない。
1時間休んで、車を運転して帰宅。
サーチを測ると86%でまずいと思い、夫と娘に電話し、帰ってきてもらう。
激しい息切れが続き、空気が吸えていない気がして苦しい。
救急車で病院に搬送され、重度の呼吸困難と言われた。
10日後退院。


10月、かかりつけ医受診。
その病院の呼吸器科を勧められるが夜間当直が無いので、総合病院に紹介状を書いてもらう。


11月、総合病院受診。
たいした検査もせず、治療方針が決まったら元の病院に戻ってもらうと言われる。
抗体治療を勧められ、金額を調べて大変だと思い、元のかかりつけ医の病院に戻る。
11月半ばから12月1日まで入院。
難病で支払い限度額が決まっているので、安心して抗体治療を開始。
難病がなければ、治療は受けなかった。
生活できないほど医療費がかかる。


12月9日、右足人差し指骨折。全治3ヶ月。
…現在に至る。
今年を振り返るのは早いか。


まだ身体に負荷はかけられない。
入浴で湯船に浸かるだけで息切れをする状況。
それでも重症喘息だとわかっただけ、良かった。
間質性肺炎の急性増悪か(悪化はしている)、COPDか、肺がんかわからなかった。
抗体治療は、効果があるようだが、ゆっくり効いてくるそうで、発作はいつ起きるかわからない。
医師に「発作が起きて薬を使っても苦しければ救急車を呼んで。死ぬから」と脅された。


離婚を考えた。死にかけた。
何も感じない。
苦しくなければ、何がどうなっても良い。
呼吸ができないなら、死にたい。
でも治療で効果があったので、生きながらえた。


ワタミは私の栄養を気にかけてくださった方のアドバイスで知った。
この食事を、週2回夕食にして、週3回料理を作ることにさせてもらった。
気持ちが楽だ。


前の家でたくさん薔薇を育てた。
壁一面、つる薔薇を這わせた。
花壇に綺麗な薔薇がたくさん植って、世話をしていた。
家も薔薇も今は無い。
せめて、リビングに花を飾りたい。
いつも花を眺めて、音楽を聴きたい。


何も感じないのではない。
心が何も受け付けないのだ。
もう無理だと言っている。
だから花を眺めて音楽を聴いて、自分を労わりたい。


私は56年間、サバイバーだった。
望むと望まざると、生き延びた。
これからの人生は、好きなことを自由にしたい。
限られた範囲でも、幸せを求める努力をする。

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