キラキラ看護学生
入院して2日後に看護主任に言われた。
「にゃーさんに、看護学生を受け持ってもらいたいけどいいですか?」
私は二つ返事でOKした。
35年前学生の時、患者さんを受け持つことはあっても、受け持たれるのは初めてだ。
何かしらで入院はするけれど、同じ疾患で入退院を繰り返すということはしない。
とても興味深い提案だった。
看護学生は、11月20日にやってきた。
といってもこの日は午前中はオリエンテーション、午後から「契約書」の説明だ。
私の時は、こんなことしなかった。
というか、実習の形態がまるで違う。
私たちは手取り足取り教えてもらわない。
いきなり大自然に放たれる。
私のところに来たのは、大学2年生。可愛い。
聞けば基礎実習Ⅱで、患者さんを受け持つのは初めてとのこと。
基礎実習Ⅱは、つまり2回目の実習ですよ、ということだ。
契約書の説明の時、声が震えて、何度も言い間違えていた。
次の日、主任が付き添い、学生が来た。
教師もついているが、4人行動で、教師が2人、主任が2人を指導するらしい。
「おはようございます。熱とか血圧を測ってもいいですか?」
「よろしくお願いします」
こんなやりとりをして、体温計を渡された。
学生はサーチを測り、脈を測る。
脈は看護師なら心臓疾患がない限り、10秒測定し6倍する。
でも学生は「基礎」を学びに来ているわけだから、1分測定のはずだ。
ところがいつまで経っても脈を測っている。2分は超えた。
途中でわからなくなったか?
「血圧を測りますね」
そうはいうものの、血圧の碗帯のペタペタくっつくところを広げてはくっつけ、上下逆さまにしたりと、私の腕に巻きつけるまであたふたしていた。
ようやく腕に血圧の碗帯を巻きつける。
「加圧していきます」
プシュプシュ圧が入る。いくつまで加圧したか知らないが、結構痛い。
手は震えている。
「終わりました。次に胸の音を聴かせてもらっていいですか?」
学生用の聴診器、つまり耳に入れる音が聞こえるところが二つに分かれて、指導者も聞ける構造の聴診器を出して、胸にあてていた。
この頃の私は、ゼイゼイヒューヒューぎゅーぎゅーだ。
さぞ聞き応えがあったことだろう。
こういった基本的な客観的な観察を「バイタルサイン」という。
体温、血圧、脈、呼吸数。
看護師になってもバイタルサインはどんな患者でも巡回時に測る、診断に貴重な判断材料だ。
温度板(今はパソコンか)に記録して、医師が見られるようにする。
「それではまた後できます」
看護学生は一旦引き下がった。
私は可憐な彼女に一目惚れだ。
うちの娘のみかんは「30歳なのに子供っぽいなぁ」と思っていたのに、みかんが成長したことを実感した。
みかんが際立って、家庭を回しているわけではないが、存在感というか、オーラが違う。
看護学生は20歳。
エネルギーが溢れ出ている彼女が可愛くて仕方がない。
もはや「孫」の感覚だ。
しばらくして、看護学生が来た。
「今大丈夫ですか?」「どうぞ」
学生は椅子を持ってきて、私に話しかけてきた。
今回の実習のメインは「コミュニケーション」だ。
これが看護なのかと思う人もいるかもしれないが、こんな重要なことはない。
患者さんが心を開いて話をしなければ、症状を見落とす。
コミュニケーションに始まり、コミュニケーションに終わる。
最初の第一声は忘れた。
何せ学生はカチカチだ。ほぼ話しかけられない。
しかも私は元看護師で、基礎疾患を山ほど抱えた患者である。
受け持ちにくいだろうと思う。
なので私から話を振った。
「◯さんは、初めて患者さんとお話しするの?」「はい」
「私の既往歴見たでしょ。どこから手をつけて良いかわからないよね?」
「いえ…」
困った。私も何を話したものか。
コミュニケーションは情報収集の場でもある。
学生が病気について必要な背景など聞き出さなければいけないが、受け持ちが初めてなら仕方がない。
その時看護主任が、自己注射のエンブレルを持ってきた。
関節リウマチの薬だ。
「自分で打ちますか?」「はい」
私はでっぷりした腹を出し「今はエア抜きしないけれど、注射針の角度を見るために、私は一滴だけ針の先に薬液の玉を作るの」
説明しながら自己注射をした。
終了後学生を見たら、真顔になっている。
「人に針を刺す行為を初めて見た上、患者さんが自己注射をするので、ショックを受けたと思う。ごめんなさい」
主任が謝罪した。
「あの、コロナ感染防止のため、患者さんとお話しするのは15分までなんです。また後で来ます」
学生は去っていった。
私の頃は、患者さんのそばに一日中いて、いろいろ話しをしたものだ。
だがこの方法は良いと思った。
その時の私が最も疲れることは「喋ること」15分縛りなら、こちらも負荷がかからない。
時計を見れば、11時半過ぎ。昼食の準備にもちょうど良い。
午後から私は骨密度測定だった。学生もついてきた。
学生はもちろん読影室で私の様子を見た。
ここで初めて検査の内情を知っただろう。
時間をおいて、また15分話す。
なんてことない会話だった。その間に医師の回診があったので、それはそれで勉強だ。
15時になった。学生が帰るという。挨拶をして別れた。
率直に「今はぬるい実習だな」と思った。
私の時は17時まで患者さんのところにいた。
「明日は何を話そうか」
しばし考えた。学生はコミュニケーションと情報収集が目的の実習だ。
このままでは必要な情報が取れない。
ちょっと甘やかしすぎだが、ブログを元に、喘息発作が起きるまでのレポート(?)をまとめることにした。
翌日もバイタルから始まる。
「コレ、まとめてみた」と言って、学生に手書きのレポートを手渡す。
「ありがとうございます!」
嬉しそうにしてくれたのでホッとしたが、こんなことをして良いのか疑問に思った。
「必ず主任か教務に見せてね」
一応断りを入れておいた。
午後。いよいよ抗体治療のテゼスパイアを打つ。
看護主任と「一本176000円だと思うと、緊張するよね」と話して笑った。
主任は、基本に則って、皮下注射をした。学生はまじまじとみていた。
その数分後に学生は来た。
「腕は痛みますか?」
「痛い、重だるいし、打つときも痛かった。例えるならコロナの初回のワクチンを打ったときみたい」
「注射を打ったところを見せてもらっていいですか?」
きちんと注射の刺入部位を見た。うん、合格だね。素晴らしい。
学生が実習を終えた後、看護主任が来てやはり刺入部位を見た。
「学生もちゃんと観察したので、良いなと思った」というと、看護主任
「気を遣ってもらってありがとうございます」
と言った。
いろいろ考えて、会話の内容は、私の学生時代や新人看護師時代の失敗談、一般的な医療事故の話をしようと考えた。
翌日は祝日だったので学生は来ない。
金曜日、まず世間を賑わした医療事故について話した。
あとは同期の看護師の後輩の失敗、最初に働いた病院に伝わる医療ミスの話もした。
学生は怯えながら一週目の実習を終えた。
二週目。私は32歳で初めて気管支喘息を発症したときからコレまでの経緯をレポートにまとめておいた。
学生が「にゃーさんの喘息が始まった時期からこれまでの経過が知りたい」と言ったから。
本当は学生から聞かなければいけないが、何せ15分刻みの会話。落ち着かない。
「まとめておいたよ」
学生にレポートを渡す。
「ありがとうございます」
嬉しそう。ちゃんとアセスメントに役立ててほしいが、今は無理だろう。
「取っておいて、来年見返すといいよ」
と言った。
唐突に学生が
「足浴させてもらえませんか?リラクゼーション効果もあるし、明日」
「どうぞ。いいよ」
その後私のベッドメーキングをしてくれた。
次の日、足浴を待っていたら
「あの、足浴明日にしてもらっていいですか?」と言う。
「どうした?」「何をどのくらい行動したら、サーチが下がるかの情報が足りない」
指摘されたと言う。
私は既にシャワー浴に入っている。足を人に洗ってもらうのに、サーチなど下がらないが、まあ仕方がない。その辺は私たちより厳しいかもしれない。
ということで、一つの行動をするたびに、サーチを測る、という大変面倒な行為が増えた。
次の日、メモを渡す。
「あの、今日シャワー入りますか?その後のサーチの値を見てから足浴ということになりました」「わかった。サーチ測っておくね」
その間医師が来て
「コルチゾールの値が悪い、副腎不全を起こしている可能性がある。でも退院しましょう」
と言って帰った。
その後師長が来て
「12月6日に3階に移ってもらいます」
と言う。それなら今週中に退院したい。学生の実習は木曜日まで。ちょうど良い。
実習最終日、朝リハビリの人がまわってきた。
「今日明日、駆け足ですが、リハビリに入ります」
と言ってきた。助かった。退院後の生活に不安があったから、指導だけでも受けておきたかった。
看護学生実習最終日。足浴をしてもらった。
「お湯の温度は大丈夫ですか?」「ちょうどいいよ」
実は熱かった。足をお湯につけたとき「アチチチ」と言いそうになったが、耐えた。
丁寧に足をシャボンで洗ってくれた。結構額に汗をかいた。教務が
「くるぶしまでお湯を入れたほうがいいよ」
とアドバイス。熱いお湯を注がれる。だがこの子の成績を落としたくないし、火傷するほど熱いわけでもないので、我慢した。
お湯からあがった足は、見事に真っ赤になっており、心の中で笑った。
午後からスパイロメーター(呼吸機能の検査)と、6分間早足で歩いて、サーチがどれくらい下がるかの検証をした。学生は検査もリハビリ室も初めて見た。
いよいよ最後の会話の時間になった。
教務に断って、お別れ会をしたいと言ったらOKが出た。
思い出を作りたかった。つまり最初の実習なので、インパクトをつけたかった。
私はiPadで、新しい学校のリーダーズの「パイナップルクリプトナイト」優里「レオ」をイヤホンの片方を渡して一緒に見た。
最後の5分で、この実習で学べたことなど聞いたが忘れた。
15時、教務とお別れに来た。
私は顔を下に向けたまま、上げられなかった。
「にゃーさん、大丈夫?」
教務が私の背中をさすりながら言う。
「私は身体も心もボロボロで…二度と看護師には戻れない。プライドなどとうに忘れた。でもこの子が私の中にある「看護師」を引き出してくれた。私を受け持ってくれてありがとう」
そう言って別れた。
20歳。眩しい。体力も気力も満タンだ。これからいくつもの困難にぶつかる、
看護師になれば、温室からいきなり野に放たれる。
最初はとてもつらいだろう。
でも慣れるから。
立派な看護師になってほしい。
私は喘息のコントロールがついたら、A型就労を目指す。
志は低いが、私は私のできることをして、頑張って生きていこう。