呼吸困難

病気は多いですが、前向きに生きていきます。目下の課題は重症喘息のコントロールです。

入院9日目、そして退院

入院してから9日目の朝、食事と歯磨きを終え、iPadを見ていたら、医師と看護師が来た。
「今何%?」「94%です」「じゃあ、酸素止めて。ルームエア90%ね。点滴もこれで終わり」
医師がそう言うと、看護師は私の酸素カニューレを外した。
え?である。突然来て何?心の準備ができていないし、振り返れば検査を全くしていない。
「先生、私ここの病院でフォローしてもらいたいんですけど」
「無理。遠すぎて非現実的。リウマチ科に手紙書くから、そっちで呼吸器科探して」
医師はとっととその場を去った。
点滴も最後のソルメドロールが入り終わったら針を抜かれた。
すぐに理学療法士さんが来た。
「にゃーさん、肺機能の評価をしましょう」
リハビリ室へ誘導された。
つかまるものがなく歩くのは9日ぶり。怖い。


リハビリ室では「6分間歩行テスト」をすると言う。赤いコーンを2つ置いて、行きつ戻りつする。
一度座ってサーチュレーションを指に固定する。
その後表を見せられた。「きつい」とか「楽である」と書かれている。
「今から一人で歩いてもらいます。自分のペースで歩いてください。途中椅子が置いてあるので、苦しかったら休んでいいです」
もう一人の人がパソコン見ている。連動しているらしい。


よくわからないが、もともとの速度で歩いてみた。
3週くらいしたら、ストップがかかった。
「にゃーさん、座ってください。サーチが86%まで下がりました」
苦しさに気づかなかった。
ほどなくスタート。最後までやり切った。
「じゃあ、午前中はこれで終了で」


部屋に戻ると
「にゃーさん、早く早く」
と風呂場に連れて行かれた。
「ご飯になる」
そんなこと言われても。とにかく急いだ。
息苦しいので湯船パス。


帰室したらドライヤー係待機。
そそくさと連れてこられたから、紙パンツ履いているのだが。
ざっと乾かして、下着とパジャマ着たら昼食。
無理だ、食べられない。急に動きすぎだし、酸素もしていない。


昼食後、安静時で91%。苦しくてナースコール。
「苦しいんですけど」「指示はルームエアで90%でOKなので、様子をみましょう」
だが何%だろうと苦しいものは苦しい。
サーチは90と91行ったり来たり。
今までの入院中の経験上、安静時でも92〜93%あれば苦しくなかった。酸素をしている状態で。だが今酸素をしていない。
苦しいと言ったら苦しい。ナースコール連打。その都度
「様子を見ましょう」
あのね、いきなり酸素引っこ抜かれて点滴外されて、リハビリの負荷試験した後シャワーに入って急いで着替えている。安静にしているならともかく、どうやったって苦しいよ。
ナースコールを7〜8回したが、結果は同じなので、やめた。
「デパスを飲んでみよう」
精神的なものかもしれない。向こうは私が抗うつ剤を飲んでいることは知っている。どうせ「不定愁訴」の烙印を押されるだけだ。
「サルタノールをしてはどうか」
一回2プッシュまでだが、3プッシュした。効果なし。
「と、とにかく安静にしていればいいんだ」
サーチに変動は無いが、安静にしていたら、呼吸がマシになってきた。
思うに労作時とその後に苦しくなるのだ。サーチが97も98もあるならいい。
今まで95%前後を保ってきたものを、いきなり90でOKって、スパルタすぎないか?


1時間もしたら、慣れてきた。
そこで夫に電話。
「そろそろ退院かもしれない」「え?なんで?」「今日酸素も点滴も外された」「苦しくないの?」「苦しいけど90%あればいいって言うんだもの。とりあえず今日のうちに使わないもの持って帰って欲しい。仕事抜け出せる?」「適当に行く」「わかった」


昼食をほとんど食べていないせいか、お腹が空いてきた。
14時。まだ4時間ある。
とりあえずコーヒーを飲む。その後アメ玉を口に放り込んだ。


「にゃーさん、カーテン開けていいですか?」
理学療法士さんである。
「おうちはスキップエレベーターと聞きました」
スキップエレベーターとは各階に止まらず1、4、7、10階にしか止まらない。
私の家は11階なので、頑張って階段を登らなければならない。


再びサーチを指に挟み、病院の階段昇降をする。
病院だから、階段はなだらかにできており、あまり負荷がかかっている気がしない。
「サーチ92%取れてます。いいですね」
良いわけがない。苦しいよ。


夫が荷物を取りに来たところに出くわした。
看護師はどの荷物かわからない様子。
「今持ってきますから」
部屋に行って荷物を夫に手渡す。会話せず別れる。
実はこの日は木曜日。てっきり土日の退院だと思っていた。


翌朝食事を終えて9時。
「ごめんなさい、見るね〜」
と介護さんがカーテンを開けて入ってきた。床頭台の上の扉を開けて、おむつの枚数を数えている。
「入院してからオムツ使いました?」
「浴室のは使いました」
そうですかと言ったら看護師が来た。
「入院時一枚使ったよ」
と言うから
「そうですか」
と言った。おむつ一枚などどうでもいい。
しかし察しはついたものの、いきなり来て人の(病院のだが)使っている床頭台を開けた。
なんなら新しいタオル類とパジャマを入れていった。
私は何も聞いていない。


ほどなく医師と看護師が来た。
「じゃあ、今日退院で。」「先生、ここの病院でみてはくれないんですか?」
「場所が遠すぎます。元のリウマチ科にも呼吸器科はあるでしょう?」
「でも、夜間救急はみてくれません。当直がないんです」
これは医師は気づかなかったようだ。
大方ネット検索して確認したのだろう。
「100m歩けないし、息切れもします」
「疲れたらその場で立って、休んでください。歩く速度は人の1/3で」
そんなこと簡単に言われても、それこそ非現実的だ。
息が上がってきたら、道路脇で立っているのか?
人の1/3の速度じゃないと、今後歩けないのか?
治療の指針はかかりつけ医に手紙に書いてくれるのか?
「発作時が心配です」
「じゃあ、発作が起きたら飲む薬出しておきます」


夫に電話。「はあ?」と。
「なんでリウマチ科?次発作起こしたら、どこでみてくれるの?」「知らない」
娘にLINE。昼休憩に
「どういうこと?これから連休じゃん。また別の病院に行くの?治療方針は書いてくれるの?」「書かないと思う。他の病院の医師が、別病院の医師にこうしてくれとは言わない」
「そんなのないよ、せめて連休中だけでもいさせてもらえないの?」
「帰るよ。放ったらかしにされるよ。居づらい」「悔しい悔しい悔しい!」


とまあ、家族はブチギレていた。
昨日酸素と点滴外して、命救って終了だ。
おそらく下手に検査をすると、通院になる。
これは私の予測だが、搬送中に自分が主治医でもないのに、何か起きるのが嫌なんだろう。
「手紙書くから、帰りにリウマチ科に寄って、手紙病院にあらかじめ出すといいよ」
「わかりました。今回の診断は?」「喘息のコントロールがついていなかっただけ」
医師は喘息の重積発作とは言わなかったし、採血一本取っていないのだから、診断できない。あとはかかりつけ医でご自由に、である。


夫が迎えにきた、高い治療費を払って帰宅の途についた。
とりあえず、手紙はサクッと書いてくれた。
帰り、リウマチ科に寄って手紙を受付に出しつつ、早めに受診したいと言ったら、連休明けすぐにみてくれることになった。


怖かったのはタバコの匂いである。
夫は「ダスキンの消臭に入ってもらう」と言っていたが、入院費が予想の倍をいった。
高額医療費の申請はしていたが、運悪く月を跨いでしまった。
車の中はタバコ臭い。
家に着いた。恐る恐るドアを開けた。タバコの匂いがしない。
「わあ、凄いね、タバコの匂いしないよ。これならダスキン入らなくていいよ」
「布団も買ったんだ。タバコ臭かったら困るから」
確かに布団は並べてあったが…安っぽくツルツルしている。顔が引き攣った。
それでもお礼はした。私を慮ってくれてのことである。


退院したのは金曜日。
「禁煙外来は?」「火曜日に行ってきた」「そうか、頑張ってくれて悪いね」
「ああ、でも会社で2〜3本吸っているよ」
片付けていた手が止まった。そして沸々と怒りが湧いてきた。
「タバコか私の命か2択だって」と言った。その話は大いに盛った。
だが受動喫煙の弊害が、ネット上にこれでもかと書かれている。


夫はすぐ嘘をつく。これは本人には悪気がない。勝手に実家から100万円もらって私に言わなかったり、私が子育てしながら睡眠時間を削って働いていた時、夫は仕事と偽りパチンコに興じた。毎晩定時で上がって閉店まで。土曜日は残務整理だと言って私服で出勤。
日曜日は「本屋へ行く」と言って、3時間帰ってこない。これを10年続けた経緯がある。
私のうつ病の原因は、実母の虐待半分、夫の10年の嘘が半分である。借金もしていた。
私は夫にお金をたくさんあげた。出張旅費が帰ってくるまで貸してと言って、返してくれず有耶無耶にされた。娘の学資保険に手を出してチャラにした。一昨年自分の弟名義で借金をして、私の母の年金で返していた。そして2月28日。一昨年言わなかった借金が出てきた。
2月は離婚を考えた。精神障害者のグループホームに入ろうと思った。だが夫に誘われて、私もパチンコをしている。だから飲み込んだ。ギリギリのところで再構築しようと決めた。


義母は厳しいと言うよりヒステリックな性格だ。私とも3回喧嘩している。
夫は幼少期、石炭ストーブに突っ込んである熱い棒で、ずいぶん殴られたと言っていた。
おそらく夫の自分の身を守る方法は「嘘をつく」こと。
31年間の結婚生活で、大きいものから小さいものまで、嘘をついた。つかないでほしいと何度言ったかしれない。


布団をベッドに敷きながら、悪びれずタバコを吸ったと言った。
両手に拳を握り、ブルブル震えた。涙が出てきた。


タバコは依存症だ。少しずつ減らすのは無理だ。そんなことをしたらだんだん本数が増えて、いつか元に戻る。
酒、ギャンブル、タバコ。全部やめるならゼロ百しかない。
タバコは麻薬中毒と似ていると聞く。夫は40年吸っている。簡単に辞められないとは覚悟していた。
それでも「ごめん、本当は少し吸った」これなら許せた。
だが悪びれず日常会話に盛り込んだ。「1本くらい」そう思ったんだろう。
私は激しく怒った。「あんたはまた私を騙すのか!見殺しにする気か!」
夕食は「疲れた」と言って、食べずに寝た。


深夜目覚めて夫にLINEした。

……………………………………
「昨日激怒したのは借金を彷彿とさせたから。あんたは逆切れしたね。40年吸ったものをたかだか1-2本吸ったから何だと言うのか、あんたのために自分を犠牲にしているじゃないか、布団も買った、ダスキンも頼んだ。これ以上ないほどやってあげている、正直に吸ったことも言った。ここまで怒られる筋合いはない、そう思ったと予測する。


それでも必死に私を慮ってくれていてありがたいと思った。そこへ悪気なくタバコ2本の話が出た。みかんに言ったら「パパを許してあげて、いきなりは無理だ」と言ったんだ。


今回は譲れない。私は10日まで発作を起こせない。私は喘息であり、間質性肺炎でもある。見捨てられたけど医師に「タバコかあなたの命の2択です」と言われている。あんたにも散々言った。


でもあんたは私に尽くすことで、タバコ2本を相殺できると考えたから、悪気なくぽろっと言ったでしょ?


私は誓った。あんたを甘やかすことで、自分も甘やかした。
小遣いも6万から4万と多めにした。買い物好きなひとだから、とこれも甘やかし。あんたを甘やかすことは自分を甘やかすことでもある。


あんたの笑顔が好き、何でもしてくれて便利。じゃあタバコは目を瞑るか?


今回はダメだ。私は覚悟する。自分の命を守る。1本たりとも吸わせられない。だってうつ病も今回死にかけたのも、あんたのせいだ。


あんたに不機嫌になられるのは辛い。精神的に病む。だけどもう妥協しない。
あんた入院前の私の姿見てるでしょ?寝たきりだよ?起きていられない。自分でもおかしさに麻痺している。おしっこもいくらいきんでも出ない。本当に死にかけたんだ。死ぬんだよ?わかる?突然死するんだよ?私が死んでもあんたは自分を甘やかす?俺は悪くないと言い張れる?そういう気持ちなら離婚しよう。


私は2度とあんな思いはしたくない。
命懸けで言っている。自分を大切にしないものが相手を大切にできない。


わかってください。選んでください」
……………………………………


朝起きて、夫が「LINEは読んだよ。一本も吸わないよ」
そう言うと、ニコチンパッチを2枚貼った。
一番強い、ニコチンが含まれるパッチだ。貼ったら買い物に行った。


入院生活の終了はここまで。
いろいろあった。人生の縮図を見たようだ。


私の肺と気管支は悪くなった。不可逆的で、悪くなることはあっても、良くなることはない。
今も苦しい。酸素が欲しい。
でもプレドニンを飲むしか手立てがない。
プレドニンは1日30mgまで飲むよう指示が出た。
私はそれでなくとも免疫抑制剤を飲み薬と注射、2種類使っている。
ここにこんなにたくさんプレドニンを飲んでいたら、その時発作はおさまっても、いつか感染して死ぬ。
喘息の重積発作ではなく、間質性肺炎の急性増悪でもないなら、残るは慢性閉塞性肺疾患か、肺がんしかない。
どちらもタバコが9割原因。


夫の機嫌を取るために自分を生贄に差し出すのは辞めた。

×

非ログインユーザーとして返信する